特別陳列 おん祭と春日信仰の美術 - 特集 春日の御巫 ー
2023年12月9日(土)~2024年1月14日(日)
春日若宮おん祭は、1年に1度、春日大社の摂社である春日若宮より御旅所へ若宮神をお迎えし、1日24時間にわたりさまざまな芸能を捧げる祭礼です。御旅所の若宮神のもとに祭礼参加者が詣でる風流行列や、田楽や舞楽、猿楽などの神事芸能が有名です。平安時代の保延2年(1136)に始まり、古儀の祭礼を守り続けて今年で888年目を迎えます。
本展はおん祭の歴史と祭礼、ならびに春日大社への信仰に関わる美術を紹介する恒例の企画で、今年はおん祭で神楽を舞う御巫(みかんこ・巫女)を特集します。おん祭の草創期から神楽を奉納してきた御巫は、中世から近世にかけては、普段は春日若宮社拝殿で民衆の祈りを若宮神に届ける役割も担っていました。民衆と若宮神を結びつけた御巫の存在を切り口に、大和一国を挙げて行われた華やかなおん祭の世界をご覧ください。
※12月17日(春日若宮おん祭お渡り式の日) 観覧無料・午後7時まで開館
※1月2日~5日 春日大社にて本展の無料観覧券配布
【御巫の神楽】
春日大社では、巫女のことを「御巫(みかんこ)」と呼びます。神楽を若宮神にご覧いただき、祈りを聴き届けていただくため、おん祭の暁祭や御旅所祭で、正装した御巫によって神楽が奉納されます。若宮神主家による保延2年(1136)から嘉禄2年
(1226)のおん祭の記録『若宮祭礼記』には御巫は若宮神の御旅所への遷幸にお供し、そのまま朝まで舞い遊び、翌日は御旅所への行列に乗馬で従ったとあります。おん祭が創始された時代から、御巫はこの祭礼になくてはならない存在でした。
また、おん祭の創始より程ない永治元年(1141)に、春日若宮の近くに「乙戸部屋」が建てられました。これは現在の若宮拝殿にあたると考えられ、御巫の上席である八乙女が常駐して日常的に神楽を奉納するようになりました。その様子は、鎌倉時代の「春日権現験記絵」巻第十にも描かれています。おん祭の成立期は、若宮拝殿の御巫組織の成立の画期でもあったのです。
おん祭では正装した御巫により神楽が舞われる。本品は二人舞「神のます」「千代まで」の装束。
▲ 神楽を春日社外に広め伝承するための、宣伝と教科書を兼ねた著作。神社の変革期に編纂され、伝統を今に伝えている。
▼ 春日社の社家に伝来した家譜を御巫の長・冨田槙子が、舞女に伝えるために書いたものの写し。
【第1章】春日大社の神仏の姿
春日大社は奈良時代に創建され、春日若宮の創建は平安時代の長承4年(1135)と伝えられます。第1章では、春日大社の祭神、当社を氏神とした藤原氏との関わり、神仏習合の様相をご紹介します。
春日大社の始まり
鹿島から白鹿に乗って御蓋山に影向した武甕槌命(たけみかづちのみこと・一宮)と経津主命(ふつぬしのみこと・二宮)、中臣氏・藤原氏の祖先神である天児屋根命(あめのこやねのみこと・三宮)、その后神である比売神(ひめがみ・四宮)を合祀したのが春日社のはじまりです。若宮神は、平安時代の長保5年(1003)に本殿の第四殿に顕現した三宮と四宮の御子神であり、長承4年(1135)に本殿から独立して春日若宮に遷座されました。
◀春日若宮の神主、中臣祐賢が記したもの。長承4年(1135)に春日若宮の社殿が造立されたと伝える。
▲一宮武甕槌命が、鹿に乗って常陸国(現在の茨城県)鹿島より春日の地に来臨する様を描く。
◀上半に春日社境内、下半に興福寺講堂を配し、両者が一体であることを示す礼拝画。
藤原氏の氏社
摂関家・藤原氏の氏神を祀る春日社には、藤原氏などの貴族から豪華な宝物が多数され、伝存していることから、平安の正倉院とも称されています。神仏習合が進み藤原氏の氏寺である興福寺と一体となって信仰されました。鎌倉時代には、社頭を描いた春日曼荼羅が作られ、春日大社に参詣する代わりに礼拝されました。
春日社頭と如意輪観音のいる補陀洛山浄土を連続させる。
春日若宮創建期に奉納された古神宝を復元新調した。
平安時代に奉納された国宝太刀の復元模造品。くすんだ部分を鮮明にし、製作当初の輝きを再現。
春日の本地仏
平安時代以降、神々は本来の姿である仏(本地仏)が、衆生のために姿を変えて出現したもの(垂迹)だとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広まりました。春日社でも各神に本地仏があてられ、絵画や彫像で表されました。
厨子背面に、仏涅槃図と鹿島立神影図を表裏に描いた板を嵌めこむ。
▶ 鏡に興福寺南円堂の本尊の不空絹索観音を表す。
二宮 経津主命・薬師如来
薬師如来を線刻で表した鏡像。鐶で社殿に吊るして用いたか。
四宮 比売神・十一面観音
像内銘などから、南都で活躍した仏師善円が春日社の本地仏として造立したとわかる。
若宮 聖観音・文殊菩薩
三宮 天児屋根命・地蔵菩薩
胸前の内衣の縁がⅤ字形なす特徴は、春日社三宮の本地仏である地蔵菩薩を表すとされる。
▲春日若宮の本地仏である文殊菩薩を、中国・五台山の文殊の姿で描いている。
▲ 春日社とその摂社に祀られる十柱の神と、それぞれの本地仏を示す。細密な彩色が施された優品。
【第2章】おん祭の美術
近世には、はなやかなおん祭の様子を描いた絵画が数多く作られました。第2章では、祭礼の様子を詳細に示す「春日若宮御祭礼絵巻」や、祭礼にまつわる装束や工芸品を展示し、神事芸能のタイムカプセルとも言うべきおん祭の盛儀をご紹介します。
盃台と同じく「装束賜り」の威儀物として用いられる調度品。
おん祭に先立って大宿所で行われる「装束賜り」の威儀物として用いられる調度品。江戸時代の絵巻にも類品が見られる。
おん祭に先立って、祭の無事執行を祈って大宿所祭が開かれる。巫女が湯立神事を行う。
おん祭前夜に祭礼奉仕者が祭礼の無事を本社と春日若宮に祈る宵宮祭を描く。
▲春日若宮拝殿で御巫が神楽を奉納している。
◀お渡り式の後、猿楽の金春太夫が御旅所前に構えられた結界の封印を解いて祭場へ入る。
【第3章】春日講と拝殿神楽
春日講は、中世に始まり、現在も奈良町を中心に続けられている信仰でつながれた集まりです。春日曼荼羅を本尊として法会を行い、飲食を共にして地域の連帯を深めます。近世には、法会の後に春日社に参詣し、神楽が奉納されました。第3章では、南都の春日講に伝わる本尊とともにおん祭を支えた地域に根付く春日信仰について紹介します。
春日講の広まり
春日講は鎌倉時代に貴族によって始められましたが、室町時代には民衆の間にも広まりました。そのきっかけのひとつが、おん祭の田楽の差配役である田楽頭役の担い手の交代にあったと考えられています。応仁の乱で疲弊した貴族出身の興福寺僧に代わって田楽頭役となった筒井順永(1420~1476)は、その負担と引き換えに興福寺僧綱の身分を得て、自ら「衆中春日講」を成立させ、武士層の中に春日講が定着しました。春日講はさらに領地の民衆にも伝わり、おん祭を支える信仰基盤となっていきました。
室町時代末期の南都絵所の作風を示す。裏面墨書より、天正6年(1578)に筒井家の系譜の有力地侍らが成立させた講の本尊であったことがわかる。
鏡面には何も表さず、御蓋山との間に春日の本地仏を並べる。春日講当日は杉と竹を組んだ祭壇に祀られる。
春日鹿曼荼羅の古本として貴重。四宮本地仏の十一面観音の種子を表す。元和4年(1618)には奈良市西城戸町の春日講本尊だった。
▲ 町内の年中行事の心得を記した冊子。春日講の作法が記される。会所での法会と直会のあと、御霊神社と春日社に詣でて神楽を奉納したという。
▼ 鎌倉時代に作られた春日明神の霊験を描いた絵巻を忠実に写した摸本。春日若宮拝殿にて、御巫鈴を持って舞い、年配の御巫が筝を弾いて神楽を上げる様子を描く。
【展覧会概要】
展覧会名:特別陳列 おん祭と春日信仰の美術 ー特集 春日の御巫(みかんこ)
会 場:奈良国立博物館 西新館
会 期:2023年12月9日(土)~2024年1月14日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 :毎週月曜日(ただし1月8日は開館)、12月28日~1月1日、1月9日
観覧料 :〈一般〉700円 〈大学生〉350円
※高校生以下および18歳未満の方、満70歳以上の方、障害者手帳またはミライロID(スマートフォン向け障害者手帳アプリ)をお持ちの方(介護者1名を含む)は観覧無料です。
※春日若宮おん祭お渡り式の日(12月17日)はすべての方が観覧料無料です。
※高校生以下及び18歳未満の方と一緒に観覧される方は、一般100円引き、大学生50円引きとなります。
※この観覧料金で、名品展「珠玉の仏教美術」(西新館)・「珠玉の仏たち」(なら仏像館)・「中国古代青銅器」(青銅器館)、特集展示「新たに修理された文化財」(西新館・令和5年12月19日(火)~令和6年1月14日(日)をあわせてご覧いただけます。
主 催:奈良国立博物館、春日大社、仏教美術協会
奈良国立博物館公式HP https://www.narahaku.go.jp/
【12月17日 春日若宮おん祭 お渡り式・御旅所祭】