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大阪「天神祭」 4年ぶり通常規模で開幕

 

 4年ぶりに通常の規模で開催された大阪の天神祭は、25日、祭りのクライマックスの本宮(ほんみや)を迎ました。。

 

 大阪天満宮で、25日、本宮祭が行われました。日本三大祭りの一つ、天神祭が4年ぶりに完全復活する形で開催しました(昨年は陸渡御のみ、規模を縮小し、一部無声で斎行されました)。今年は奉納花火も再開。3000発の花火が天を焦がしました。

 祭りは、本殿で本宮祭が厳修されたあと、15時30分頃、本殿を陸渡御の列が出発、氏子地を巡りながら船着き場へ。船渡御へと続き、花火の上がる中、再び大阪天満宮へと23時過ぎ還幸しました。

 

今年の天神祭の一部を写真にてご紹介します。

 

菅原道真公
菅原道真公

 

 

 大阪天満宮が創建された翌々年の天暦5年(951)に天神祭は始まりました。この年、社頭の浜から神鉾を大川に流し、下流の漂着地にその年限りの御旅所を仮設する「鉾流神事」が行われ、これ以後、年に一度、神様は御旅所に「渡御(とぎょ=神さまがお出かけになること)」されることとなりました。この渡御を慶した地元の氏子たちが、お供の行列を仕立てたのが天神祭の始まりです。


 

 

 当初の天神祭は、神職と氏子・崇敬者による地域の祭礼でしたが、江戸時代になると全国にその名を知られるようになりました。江戸時代初頭に御旅所が常設されると、御旅所周辺の氏子たちも船渡御をお迎えするための「御迎え船(おむかえぶね)を仕立てました。さらに、大阪に元禄文化が華開くと、御迎え船には豪華絢爛な大型人形が飾られ、大きな話題になりました。これを「御迎え人形」といいます。

 戦後になると、船渡御は大川の上流に向かうようにコース変更を行ったため、現在は、天神橋付近から船渡御の船列が上流に向かい、飛翔橋付近から「奉拝船」の船列が下流に向かいます。

 

御迎え人形
御迎え人形

 

 

 

午後2時30分、大阪天満宮本殿において「本宮祭」が斎行され、天神様の神のご神体が、御鳳輦(ごほうれん)に乗り移られ、いよいよまつりが始まります。

 

先陣には勇ましく「えーい」という掛け声ととも、丸太で組まれた御輿の上で太鼓を打ち鳴らします。

この太鼓は、大阪城の太鼓と伝えられ、豊臣家からは拝領した由緒を持っています。見どころは、太鼓の下に丸太を敷き、大きく揺らして打つ「からうす」。真紅の投頭巾を被った願人を呼ばれる打ち手が、前後に飛ばされそうになりながら力強く重低音を響かせながら打つさまは圧巻です。

 

続けて第一陣。御神水、つゆ払いの猿田彦(騎馬)、神鉾が続きます。

 

 

「地車囃子(だんじりばやし)」

境内の一角、地車が飾られ、地車囃子が境内に響き渡るのがひと際目を引きます。この軽快なリズムに乗って演じられるのが演じているのが「龍おどり」。鍵型に曲げ踊る指使いが特徴的で、別名「蛇おどり」ともいいます

 

 

「獅子舞」

大型の獅子頭を見事に操りながら華麗な舞を披露してくれます。獅子舞の一団は、幼い子供たちから大人まで500人近い大所帯。獅子は一見おどろおどろしいが、ユーモラスな表情も垣間見えます。

獅子舞に連なって小さな傘をかざして踊る「傘おどり」と、小さな竹片を鳴らして踊る「四つ竹」もなかなかの風情です。親子二代で踊り子を務めている人も多いのです。

 

采女 ー 稚児 ー 文車 ー 牛曳童子 ‐ 錦旗

 

 

【第二陣】

 

御羽車

時代絵巻にふさわしい、物静かな一団。人力で担ぐ当時の乗り物はなんとも、のんびりとした雅な味わいにあふれています。菅原道真公もこれで優雅に公務にあたっていたのかもしれません。

 

 

総奉行 ー 大真榊ー 御羽車 ー 御太刀 ー 御錦蓋 ― 御菅蓋 ー 御鳳輦 ― 瑞枝童子 ー 斎王(宮司)        

 

 

【第三陣】

 

鳳神輿・玉神輿

後半の主役は「鳳神輿」と「玉神輿」の両神輿です。まずは鳳神輿の出番。筋肉隆々の舁き手によって華麗な神輿が威勢よく躍動します。その余韻も冷めぬ間に、玉神輿が豪快に舞い上がります。両神輿はライバル心むきだしに情熱をたぎらせます。

 

 

鳳神輿 ー 玉神輿ー 天神祭囃子