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鞍馬寺竹伐り式

鞍馬寺本殿金堂・金剛床
鞍馬寺本殿金堂・金剛床
閼伽井御法禅神社
閼伽井御法禅神社

 

 1100年以上の歴史を持つ鞍馬寺竹伐り会式(京都市指定無形民俗文化財)が、6月20日、鞍馬寺本殿金堂・金剛床で執り行われました。竹伐り会は、平安時代の宇多天皇の時代(889~897)にさかのぼる古式豊かな法会です。

鞍馬山の中興の祖・峯延上人が護摩の修法中、2匹の大蛇が現れてこれを邪魔したので退治して伐ったという故事に由来して、竹を大蛇に見立ててこれを伐るのが竹伐り会式です。この伐られた大蛇は雄蛇で、あと残ったのが雌蛇で、これを助け、その時この山に水(神仏に供える香水)を出すことを誓ったといいます。

 白い袈裟で頭を包む寡頭(かとう)姿は俗にいう弁慶被りで、法師が着る麻の黒の僧衣(素絹)に玉襷をかけ、五条袈裟を着けた姿は山伏の正装でもあり、僧兵のスタイルでもあります。腰に南天の葉を指すのがしきたりだそうで、南天の葉は「難転」、災難を吉事に転じる意味と、大蛇の毒気を消す意味を持っています。古くから鞍馬では七仲間(大惣、僧達、宿直、名衆、脇、大工衆、大使の各仲間)という家柄・格式を今に伝え、うち前の三仲間が出仕し、竹を伐るのはもっとも鞍馬山にゆかりの深い大惣法師仲間が竹を伐ります。また後述しますが、竹伐りは二つのチーム(近江座、丹波座)に分かれ竹を伐る早さを競います。この竹伐りは、祭儀中竹を伐るのは2回で、伐り方も伐る刀も異なります。

 まず法会は大惣仲間や導師、衆僧たちが参進・行道し、諸作法ののち、稚児による「七度半の御使」の作法が行われた後「竹ならし」、いよいよ竹伐りが始まります。「竹ならし」とは後の「勝負伐り」に備え、両座の竹の条件を同じにするために竹を切り揃えるのが「竹ならし」と呼びます。それぞれの座は8人で2人1組となって、直径約10㎝、長さ約5mの青竹4本を「おぉぉぅっ」と掛け声のも伐り落とします。

 「竹ならし」を終えた後、途中で蛇の出てくる舞楽が舞われます。

 その後、内殿での法要を終えるといよいよクライマックス。大惣称講の指図で檜扇が挙がるのを見て(檜扇之儀)、近江座・丹波座と左右に分かれ「うぉぅ~」の雄叫びと共に激しく、4本の太青竹を二節ごとに五段に伐り競います。これは、その勝敗によってその両地方の豊凶を占うようになったのです。(後述)

 竹伐り会式は、コロナ禍のため、昨年は堂内だけの法要は行われたが竹伐りはおこなわれず、今回4年ぶり。白熱した竹伐り競いは丹波組が勝利しました(前回は近江座が勝利)。この日、この竹伐り会式を見守ろうと集まった参拝者は約750人。竹が切り落とされるたびに大きな拍手が巻き起こります。五段切り終わった大惣は本坊に馳せ入ります。最後の大惣が駆けるとともに竹伐り会式は終了します。

 

竹ならしの儀
竹ならしの儀
竹ならしの儀
竹ならしの儀

竹ならしの儀
竹ならしの儀

 竹片は「魔除け・災難除けのお守り」にな
竹片は「魔除け・災難除けのお守り」にな

 

 

竹伐り会式で伐られた竹の破片を持ち帰ると 竹片は「魔除け・災難除けのお守り」になると言われている。

鞍馬寺参道
鞍馬寺参道

 

【私見雑感】

 

※江戸時代中期には「蓮華会」と呼ばれる。

この鞍馬寺竹伐り会式は、江戸時代中期には「蓮華会(れんげえ)」と言われてました。

「寺僧語りて曰、六月二十日竹伐のこと、つぶさには蓮華会といふ。これ中興開山峰延和尚の呪力にて、大蛇段々となすの遠忌会」『滑稽雑談』其諺

 

※江戸時代後期 『注増山の弁』文化3年(1806)

東方(本堂)は近江方、西方は(観音堂)は丹波方と分けて、早く竹を伐ったほうが豊作になるとされた。

 

仁王門(山門)
仁王門(山門)
鞍馬寺手水鉢
鞍馬寺手水鉢
由岐神社 ※火祭りがおこなわれる
由岐神社 ※火祭りがおこなわれる