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住吉大社御田植神事 6月13日

 

 もう真夏が近づき、梅雨が始まるころ、住吉さんの御田(おんだ)が訪れる。6月14日は例年「御田植神事」(以下御田)だ。もっとも盛大で素朴、古風をよく残し、どこかで見たことがあるに違いない、日本のどこか懐かしい原風景を思い出す。住吉さんの「御田」はコロナ禍の影響で4年ぶりの開催。2,000人の人が訪れ見守った。この日は雨がぱらつく日ではあったが「御田」で雨が降ると水に困らないと伝えられている。「住吉大社御田植神事」は古式を伝える重要な年中行事である。

 

「御田」の歴史は古く、住吉大社がご鎮座されるとき、神功皇后が住吉大神の御供田として神田を定められて、長門国(現在の山口県)から植女召したことに始まるといわれる。のち明治維新によって、神事廃絶の危機に遭うが、大阪新町の尽力によって植女の儀が復興される。

 

 現在は、御田植神事保存会のもと、御田講、上方文化芸能運営委員会(公益財団法人関西・大阪21世紀協会)の植女・稚児・御稔女、住吉踊保存後援会、武者行事保存会、田植踊保存会、大阪共奴保存会などによって神事の維持継承が行われており、国の重要無形民俗文化財には昭和54年に指定されている。

 

 「御田植神事」は、午前中は非公開で神館に入って、粉薫・戴盃式といった、神事に参加する資格を得る式などがあり、いよいよいよ御田に参入して畔を一周する。

 

 

御田講
御田講
共奴
共奴
植女
植女
共奴
共奴
御稔女
御稔女
八乙女
八乙女
田踊踊
田踊踊
武者
武者
八乙女
八乙女


修祓
修祓
大田主(おおたぬし) 御神水(ごしんすい)を奉じて田植に先立ち御田に水を注ぎ入れる。
大田主(おおたぬし) 御神水(ごしんすい)を奉じて田植に先立ち御田に水を注ぎ入れる。

植女・替植女

 

植女が第一本宮で早苗を授かり、最後に中央舞台に参進。替植女に苗を授ける。

 

 

八乙女

 

 

住吉大社の神楽女が奉仕し、御田植神事特有の昔から伝わる田舞(八乙女舞)を中央舞台で舞う。

 

田舞舞

 

八乙女の舞う田舞は、住吉大社に伝わる巫女舞の一つで、古い手振りを遺す神楽舞。別名「八乙女舞」とも呼び、本歌と四季

歌に分かれる。本歌の前半部は大嘗会の由貴・主基の田歌と同様のもので、後半部は『枕草子』の「賀茂へまゐる道に」の行にて、田植歌で歌われていた郭公の歌詞を清少納言が記録したものと同じ言葉が見られる。

 

 

御稔女(みとしめ)

 

御稔女の神田代舞は、大阪の花街を象徴したものであり、艶やかに舞うその姿に大阪の隆盛期と芸妓文化の往時を伺うことがデイル。

 

神田代舞(みとしろまい)

 

昭和27年に御田植神事が無形文化財に選ばれたのを記念して創作された豊穣祈願の歌舞。

稲作には欠かせない雨乞いの祈願の竜神の舞にふさわしく頭上には竜神の冠が輝き、艶やかに舞われる。

 

替植女(かえうめね)

 

植女から早苗を受け、実際に御田に下り立って植え付ける女性。

早苗を受ける人数は8人だが、、総勢30名に苗が配られ、他に替植女に手助けをする男性の奉耕者と共に田植えを行う。

 

風流武者(ふうりゅうむしゃ)

 

甲冑武者・雑兵など兵卒を率いる武者大将によるもので、薙刀・軍扇を用いて風流(ふりゅう)の所作をおこなう。

一説によれば、そのむかし、長門国の国司が綿を奉った時、その警護に当たった武士によって神前に武運長久を祈ったという故事にちなむもの、また源平合戦に由来するとも言い伝えられる。明治維新までは住吉神宮寺の社僧が奉仕した。

風流武者
風流武者
雑兵
雑兵

 

武者行事・棒打合戦

(甲冑武者・陣鐘・陣太鼓・陣貝役・雑兵)

 

甲冑武者によっ陣鐘・陣太鼓・陣貝が鳴らされ、合戦の鬨が告げられる。次いで幡を掲持した武者が御田畔を駆け巡り、甲冑武者は薙刀、雑兵は六尺棒を持ち、突きや振り上げる所作をなして御田畔を駆け巡る。さらに、源平両軍に分かれた雑兵たちが棒打合戦を行う。六尺棒を打ち合う様は、害虫を払うまじないともいう。甲冑武者は中学生、雑兵は小学生の奉仕。

棒打合戦
棒打合戦

 

田植踊(たうえおどり)

 

住吉より往古の農民間において謡い継がれてきた田植歌。田植の作業は重労働であったが、陽気に謡うことで作業の気をまぎらわし、お互いの労をねぎらったものと伝えられる。

 

田植歌

戦後の高度経済成長による農村の減少、農耕の機械化によって、各地に伝わった田植歌が消滅してゆく中、神事によってこれが保存されていることに意義を見出さる。

 

 

住吉踊(すみよしおどり)

 

伝承によれば、神功皇后が無事に堺の浜に上陸された際、祝福と歓迎のため住民が踊った舞に由来するといい、中世以後、神宮寺の社僧が「天下泰平、五穀豊穣」を祈って諸国を遍歴した。維新後一度絶えたが大正11年、貞明皇后の行啓に伴って天覧、公式に住吉踊が復興となった。

踊りの奉仕は、教導師(教導師)と童女(どうじょ)から構成される。教導師は中央の傘の長柄を叩き拍子をとりながら謡い、音頭に合わせて童女たちが円陣を組み、心の字を書くように跳びはね、団扇を打ちながら踊る。

 

ちなみに、江戸伝統文化の「江戸芸かっぽれ」という芸能は、住吉踊の流れを汲むものといわれ、現在でも盛んに奉納行事や交流が行われている。


 

 

住吉大社の御田の面積は約二反(約20アール)、10月17日の宝之市神事で初穂を刈り取る。

収穫は約8石(1,200㎏・米800升、実に茶碗16,000杯ぶん。品種は大阪府推奨の「ヒノヒカリ」(コシヒカリとコガネバレの掛け合わせ)。水源は現在は深井戸水(地下100m)の用水を供給し、合鴨農法。

 

 

     

 

 

本殿にお祀りされている神

 第一本殿 底筒男命(住吉大神)

 第二本殿 中筒男命(住吉大神)

 第三本殿 表筒男命(住吉大神)

 第四本殿 息長足姫命(神功皇后)

 

境内

 1.本殿「住吉造」(国宝)

 2.反橋

 3.楠珺社

 4.種貸社

 5.五所御前(五大力)

 6.おもかる石

 7.侍者社

 

 

住吉大社

〒558-0045 大阪市住吉区住吉2丁目9‐89

℡:06-6672-0753

HP:https://www.sumiyoshitaisha.net/